【R18 ブログ小説】
夕餉の後の夜食会
7番 回転寿司と学生時分の思い出
Experiences:突然脱げた下着
――――――――(1)――――――――
夕刻。
「俺はな。
唐揚げとか焼き鳥とかが食える居酒屋がええと思うんや!」
「僕は何処でも良いですが、ステーキハウスとかお薦めです。
割引チケットもありますし!」
「すき焼きとか、しゃぶしゃぶとか、鍋が良い!
俺はそっちが良いと思うぜ!」
走行中の車内で、運転者を含む3人が大声で食べたい物を主張し合う。
運転者のM野は何処に行くか、全く決めていなかったらしい。
候補先を伝えはしたが、それぞれの好みで全て却下され、新しい候補を今更ながらにして、選出している所だ。
「居酒屋行っても、運転する僕は飲めませんしね。
ハンバーグが食べられるファミレスでも、一向に構いませんし!」
「居酒屋があかんかったら、串カツやな。
ソース付けて食う、揚げたての串カツに勝るもんはあらへん!
あらへんのや!」
「串カツも居酒屋じゃねえかよ!
男は黙って鍋一択!」
3人の主張が全く噛み合わず、膠着状態に陥り、睨み合いが続く。
一瞬、静まり返った時、それまで黙って窓の外を眺めていたS海の声が響いた。
「……いや、寿司だ」
鶴の一声。
「――、今日はお寿司ですか」
「寿司かぁ、久しぶりだし、俺もそれが良いな。
あっさりした物が食べたかったし」
「まあ、そのぉ、S海が言うんならしゃーないなぁ。
ほな、そこにしよか」
極稀に、彼の発した一言で、全ての方向が決まってしまう事がある。
今回もたった一言で方針が決まり、次の交差点で車の進路を転換させようとした時、M野が再び問うた。
「あ、もしかして回らないお寿司ですか?」
回るお寿司と回らないお寿司。
彼の独特な物言いは、回転寿司などの安い寿司屋と、寿司が下駄に乗って出る高い寿司屋、何方かを尋ねている。
あまり外食しないM野の、寿司屋に対してのイメージは、そういう物なのだろう。
下駄に乗っていても8貫600円+税等、1皿100円+税の回転寿司より安くて旨い店は確かにあるのだが、説明が面倒なのでS海は黙っていた。
そういう、彼にとって以外で特殊な所は、また今度、連れて行って教える事にしようか。
「どっちでも構わん。
好きな方にしてくれ」
「じゃあ、回る方で。
すみませんね、今月厳しいんで」
返事を聞き、安堵の溜息が隣から2つ程聴こえ、車は漸く進路を変える事が出来た。
決定が早かったのか、込み合う時間になる直前に、座席に案内される。
何時もの彼等だったら、こうスムーズにはいかない。
S海は流れるレーンを眺め、そこから気に入った物や、食べたい物を取り、ゆったり食べるスタンスだ。
また、時折赤だしやうどんそば、天麩羅盛り合わせ、その時の売り出し中の新メニュー等、サイドメニューを頼むのも主に彼だけである。
その彼とは全く対照的に、好みの寿司が回って来るまで待てないU西は、専用レーンで配達される、個別注文の寿司を多く頼み、すぐに満腹になってしまう。
M野とA林は、その半々といった所だ。
特に好みが無く、持ってきた皿の寿司をどんどん食べるA林は、ボックス席の通路側。
タッチパネルで注文し、食べたい物を食べ、その後はお喋りに興じるU西も、通路側。
残ったM野と、食べるスタンスからS海がレーン側、と何時もの着席順で食事となる。
「もう腹一杯や。
何時も先にすまんなあ、待ち切れんのやで」
「仕事で出先、そういう食事だったら、俺もレーンで回って来るのを待たない」
「へえ、そうなんですね。
てっきり待つのかと思いましたよ」
「スマン、誰か醤油取ってくれ」
S海だけ、1つ1つ、丁寧に山葵を載せて、醤油を垂らし、それを口に運ぶ。
他の皆は面倒なので、山葵はあまり使わない。
毎回の事だが、山葵の入ったケースは、ほぼ彼専用と化していた。
「最近の回転寿司は、アイスやケーキ回ってるんだな」
「肉の乗った寿司とか。
ハンバーグもありましたね」
「いやはや、寿司屋で洋式のデザートとは、恐れ入った」
「これも時代の流れですかねえ」
「商売の原理で考えるに、需要が無ければ、こう言った物は無い筈だからな。
正に趨勢、寿司屋でもこういう物が望まれているのだ、と言うべきだろう」
過去の記憶と随分様変わりしてしまった、レーンに流れてゆく物を不思議そうに眺め、会話するS海とM野。
目ざとく見つけて、最初に手を出したのはS海だ。
彼は普段は辛党だが、時々味見の為苦手ジャンルや、まだ知らない物に手を出す時がある。
甘味も好きなA林は密かに狙っており、俺の波が来たとばかりに彼に便乗して、ケーキやプリンを頼む。
「肉の乗った寿司はさっき食ってみた」
「おお、どうやった?」
「不味くは無い。
肉好きならイケると思う」
「へえ~。
腹一杯やけど、次回ってきたら俺も1個頼むわ」
「おう、ラーメンもあるぜ」
合の手の様に、A林が知り得た知識を伝達する。
「ラーメンか。
蕎麦があれば、酒を頼むんだがな。
まあ味が気になるから、頼んでみようか」
そう言うと彼は、タッチパネルの醤油ラーメンと、貝の入ったラーメンのボタンを押す。
両方とも独りで食べるつもりだろう。
食べたいと言えば、何時でも分けてくれるのだが、皆はもう腹一杯でラーメンどころでは無い。
「2つもかい!
俺、意表を突いてくるお前のそういう所、なんか好っきゃわ」
U西の爆笑で、みな釣られた様に笑った。
全員が食べ終え、会計を済ませる。
M野は25皿、A林が31皿、U西は24皿、S海が20皿と赤だし、天麩羅の盛り合わせ、ラーメン2つ。
それぞれがデザートのプリンやケーキを、幾つか食べての皿数となった。
小銭が無いと言い、珍しく会計を名乗り出たA林に、3人が5,000円札を渡す。
「そう言えば、ハンバーグは食べたんか?」
店を出る直前、車内の会話を思い出したU西が、M野へと声を掛ける。
「いや、寿司屋に来てまで、ハンバーグはちょっと……」
何故かM野の気まずそうな笑いが、印象的であった。
車に戻ると、早速彼等は猥談に華を咲かせる。
「ですから、――事務所に所属のあのタレントが、ホテルから出て来た所をパシャリ、と」
「へええ、それは知らなかった」
カメラのファインダーを覗く真似をした彼が、興奮した面持ちで話す。
M野は、こういった類の裏話やゴシップを、話したり聞いたりするのが生き甲斐であった。
勿論どれも、根も葉もない噂話に過ぎない物ではあるのだが。
比較的ゴシップ好きのA林とM野が、何処から仕入れて来たのか、アイドル芸能界や、スポーツ選手等の裏話を、今週はどの人物のスクープがあっただの、実はこの人物の性癖はこうだと暴露されてしまった等、エロ話を交えてひたすら続け、追随するようにU西の大きな声で、卑猥な表現を聴きつつ、極稀にS海が反応する、といった風景が毎回の様に繰り広げられている。
今一番ホットなAV女優は誰か、という話題から入り、メジャー入り直前プレアイドルが、枕営業していた噂話をしているかと思えば、ふと気を抜いた隙に、どこそこのスポーツ選手が実は男色ではないか、等、先程とは全く違う毛色の話題に、いつの間にか変わっていた。
基本的に女性関連の話題が多いが、ふとした拍子に男性同士の絡みも話しており、彼等はゴシップなら、己の性癖は関係なく、何でも楽しめる性質なのだろう。
目まぐるしく、次々と脈絡なく変化する話題が、何処かのアイドルのエロ画像が流出した、という話が済んだあたりで、話が一旦途切れる。
今日話そうとかき集めた話題のタネは、大方話し尽くしてしまった様子だ。
前部座席に座った二人が、期待したような眼差しをU西に向けている。
奴の話が聞きたい、とでも云う様に。
視線に気づいた彼が、よっしゃ任しとけ、といったジェスチャーで合図すると、一頻り話が静かになった車内で、U西は黙っているS海に声を掛けた。
「なあ、S海よ。
黙ってないでお前、何かエロい話無いんかいや?
おもろそうな話、隠しとったらあかんでぇ」
U西のストレートな物言い。
他は兎も角、エロに関して彼は時と場所を選ばず、歯に衣を着せぬ性分である。
それを聞いて、窓の方を向いたまま、彼は何かネタは無いかと記憶を探った。
確か、あの女達はもう結婚して、この町を離れている筈。
犯罪を行った訳でも、罪を犯した訳でも無いから、時効という言葉は全く適切ではないが、20年以上というかなりの月日が経過し、そろそろ話をしても構わない頃合いかもしれない。
もう会う事も無いし、もし会ったとしても、お互い覚えていれば、擦れ違いざまに数分も掛けない、挨拶程度の関係のみが予想される。
他愛ない昔話、それも酒の席の、余興位にはなるだろう。
「ん、そうだな。
……酒があればな」
彼はそう言うと、車の進路をコンビニへと向けさせた。
――――――――(2)――――――――
S海は話す内容が決まったらしく、缶を開けて話を始める。
「A林とU西、俺が通ってた学校に居た、M和って知ってるか?
そうだ、髪の長い奴だ」
「ああ、アイツか。
当然だが覚えてるぞ、胸でかいし」
「おう、知っとるで。
胸でかいし、美人で有名やったからなあ」
「なら話が早い。
秋頃の運動会の時にな、M和と一緒する事があってな。
手が足りん委員会の為に備蓄を調べて、戻って来るだけの簡単なお仕事だ。
偶々同じ仕事を言い付かったらしく、彼女も俺の作業場に現れた」
「良いなあ」
「羨ましいでホンマ」
「まあ、偶然美人と一緒っていうのは、憧れるシチュエーションですねえ」
3人が一様に同じ意見を告げる。
それを見て、彼は関心が無さそうに話を続けた。
「お前達がどう思うかは知らんが、俺には全く無い感覚と、価値観だ。
意志を共有する気はさらさら無いが、慮って、尊重はしよう。
――そいつが美人という2人の評価は当然知っていたが、俺は話したことが無かったからな。
一言二言の対話で分かった事は、A林やU西が云う様に、屈託のない笑顔で接してくる事と、何故か彼女は俺をはっきりと知っていた、と云う事位だ」
「そ、それ位の時間しか話さなかったのか?」
「何や、勿体ないでえ!
俺なんてM和にずっと話しかけて、T科に蹴り出されるのが定番やったのに」
「そうだよ。
M和は誰にでも良い笑顔で接してくれるしさ。
お前は知らんだろうけどさ、偶然でも話したい奴、いっぱい居たんだぜ」
「すまんが、俺は体操服の名前見て、それが誰なのかを判断したんだ。
お前達の噂に聞く程度で、俺は彼女を良く知らんのに、顔見知りレベルで知覚されていた事が今でも腑に落ちん。
M和がどんな奴か知るのは、――もっともっと後の話だ。
運動会の日な、名前見て判断した事、観察されててな。
それを根に持ってて、後で蹴られたんだぜ」
「えっ!?
M和ってさ、そんな事するの?」
「ぬぅあ!
レア反応、めちゃ羨ましいやんけ。
それはご褒美やろ?」
2人の中では、彼女は男にも愛想が良かったが、どちらかと言うと女の子集団の輪に入って、大人しくしているイメージがある。
高嶺の花だった想い出、憧れの彼女が急に身近に感じられた。
「何でバレたか聞いたよ。
そしたらな、胸を見た反応が、他の男とさっぱり違ってたんだそうだ。
曰く、胸を見る為に名前見るふりをした、いやらしい視線じゃなかったと。
だから気付かれたらしい」
「どうゆう気付かれ方だよ。
俺は、お前が余計に分からなくなったよ」
鋭い突っ込みを繰り出すA林に、S海は思わず苦笑した。
缶から酒を喉に流し込むと、気を取り直して話を続ける。
「そういう目というのは特徴的で、女は分かるものなのか?
……まあ、話を進めようか。
用事を済ませて、クラスの持ち場に戻る最中だった。
ごく短い時間話した後、俺はM和の少し後ろを歩いていたんだ。
すると急に、彼女の穿いてるものが、すとんと下に落ちた。
そしたら、歩いてるから足に引っかかってコケるだろう?
慌てて怪我しない様に支えて、勢い殺したら地面に転がしたんだ」
「パ、パンツをバッチリ見たっていう事ですか!」
S海が言葉を切るや否や、早速M野が大きな声を上げた。
コイツほんと下着が好きだな、と思う3人。
「反応速いな。
うー、ん、まあそうだ、そういう事にもなる、か」
缶を傾けながら、S海は歯切れ悪く話す。
横から彼の肩を叩き、U西が笑った。
「はははははははは。
相変わらずラッキーなやっちゃのう!」
「いや、割とマジでな」
A林も合わせて笑うが、彼を見るその目は全く笑っていない。
「最初は、何が起こったのか理解出来てないのか、ふんわり笑ってたけどな。
時間が経つと、事態に気が付いたのか泣き始めたんだ。
慌てて物陰に隠して、誰か任せられそうな女探してたらな。
その時、丁度T科が1人連れてこっち来たんだ」
「うぇえ、T科て。
お前滅茶苦茶仲悪かったやんけ。
俺も苦手やったけどな」
因みにM和とT科は同じクラス、3人は件の2人とは違うクラスで、彼女はM和と仲が良く、何時も一緒に居たのを覚えている。
U西は責任感があり、気の強いT科が大の苦手だった。
通り掛かれば知らずと、道を譲ってしまっていたのを思い出す。
「緊急時だ、仕方ないだろう。
そもそも彼女達2人は、俺の記憶では確か仲良かった筈だ、だよな?
M和を探しに来た様子だったから、打ち明けてな。
他の女だったら、隠してたかもしれん。
何か知らんが泣いてるから、行って話聞いてくれって頼んだんだ。
当然T科は突っ掛かって来たが、男の俺じゃ解決し辛いと言ってな」
「何でM和を探してたんや?」
「確か、リレーの出場準備が近いから、M和を呼びに来たって言ってたぜ。
M和の面倒でパニックになってたから、引っ叩くふりでちょっと落ち着かせて、それからな。
運動会の真っ最中だろう、1人で面倒見させてて、変な奴来て問題が発生したら流石に拙いから。
先ず俺が1人、クラスのT科の友達の女呼んできて。
泣いてるM和の面倒を2人で見させて。
T科を本部放送まで連れて行って、見物客席に居る筈の、M和の両親呼んだ。
それで一応は片付いた」
「へえ、まるでパズルですねえ」
M野の声がしたが、S海はその通りだ、と頷く。
その後、彼女はリレーには出ていた。
何事も無く、何時も通りに振舞っていたM和。
しかし、矢張り何かが尾を引き摺っていたのであろうか?
スポーツ万能のM和が、他者に後れを取っていたのを、3人はその日、初めて見る事になった。
彼女の活躍を期待していた場内が、騒然となったのを覚えている。
「うーん、何かだんだん思い出してきたけどよ。
それで、何でそんな事になったんだ」
A林は、そもそもの事の原因を、S海に訪ねた。
「んー。
いや、それがな、ゴム紐が切れたらしくてな。
それで、するっ、と、下まで、な」
そこまで口にしたS海はぐびりと缶を傾けた。
空になったのか、軽く振って中身を確かめると、足元の袋に放り込む。
そして、次の缶に手を掛ける。
「ええと、何穿いてたんですか?」
他所の学校の話とて、その女の下着が気になるのか、ぼんやりとM野が素朴な疑問を口にした。
かなりの昔を思い出すように、S海が口元に手を当てて、暫し黙る。
やがて、自信無さげに彼は口を開く。
「……穿く物?
あの時代は、何処の学校も大体女の制服はセーラー、体操着はブルマ一択だっただろう。
ショーツとやらはレースっぽかった気がする。
形状はビキニじゃないか?
詳しくないから細かい部分までは説明出来ん」
「アイツ、そんなの穿いてたのか!」
「ホンマ、エロいのう。
どちゃしこやで、どちゃしこ!」
突如おお、と彼等の両隣から色めき立つ声が上がった。
U西とA林だ。
当時学年一の美少女として憧れていた、M和の知られざる部分を知り、彼等は大いに興奮する。
年経た今ならば兎も角、例え思い出の中の幻想であろうとも、美女のエロい姿とあらば、何時でも何処でも大歓迎だ。
「うぉー。
こりゃやべえ、おっ起つ!」
妙に感動していたA林が、己の率直な気持ちを語り、叫ぶ。
運転席で話を聞いていたM野は、疑問を口にした。
「あの、聞きたいんですが。
ええとその、M和さん?
そんなに美人だったんですか、気になるなあ」
「残念だがM野。
当時スマホはおろか、世の中はPHS、ポケベル全盛期、携帯電話にカメラなぞ未だ無い時代であってな。
携帯にカメラが付いたのは、卒業してから数年後の話だ。
レトロに色褪せたフィルム写真なら現存するだろうが、アルバム捨てたから俺は彼女を見せる事は出来ない。
容姿の方は、2人の反応を参考にしてくれ」
S海が疑問に答えたが、参考になったかどうか。
僕も見たかったなあ、と残念そうに彼は何度も頭を振る。
「ああ!
こうなったら中身も知りたいんやがのう!」
下着の向こうの事を言っているのだろう。
辛抱たまらんと叫ぶU西に、察したS海は宥める様に話しかけた。
「いや、だからさっきからな。
その話をしてる」
2人の頭に疑問符が付いたような面持ちへと変わり、一瞬、車内が静かになる。
訝しみ、不思議に思ったA林がS海を問い質す。
どうやら彼とは会話が噛み合っていないようだ。
「おい、S海。
どういう事だよ、説明しろ」
額に手を当てて暫し考えていたS海は、伝えられていない問題点を洗い出し、原因を突き止める事に必死なようだ。
やがて、思い当たったのか彼は片手を挙げると皆を制し、重苦しそうに口を開く。
「さっきから言っているんだがな。
ゴムが切れて脱げたのはブルマだけじゃない。
ショーツ、下着の方も、同時にゴムか何かが切れて、一緒に脱げ落ちたんだよ」

先程から歯切れが悪いのは、その所為だったのか。
そんな思いが、3人の胸の内を去来する。
彼の返答を聞いた2人は、思わず絶句した。
「うわぁ~。
凄い偶然ですね」
あまりにも出来過ぎた、それも仕組まれたかのような状況。
またか、と云う様なM野の乾いた、そして呻くような声が沈黙を切り裂いた。
――――――――(3)――――――――
その後も暫くは場が凍り付く。
静寂が支配する、といった程度ではない、文字通り凍り付いていた、という方がより相応しいだろう。
「道理で話が噛み合ってないと思ったぜ。
説明するか?
歩いてる時にこう、急にストンと落ちて、ぺろんとな?」
漸く身振り手振りで説明するS海の声がしたが、反応は暫く経ってからだった。
信じられないものを見た面持ちで、じっとS海の方を窺う3人。
「それで女の躰が前に倒れようとするだろう?
こう、胸と腰に手を回して、支えてからゆっくり手を地面に着かせてな。
んで、M和の膝を怪我しないようゆっくり下ろすんだ。
それから俺も膝をついた。
お察しの通り、そりゃ目の前だ。
前も後ろも、女のエロい部分は全部見えてるよ。
ああ、彼女がよろめいた時に、乳も鷲掴みにしていたかもな」
「おおおお~!
それは羨ましい、僕もご相伴に預かりたかったですね」
「お、お前、乳まで揉んだんか!」
「まあ、S海ならそれぐらいはやってると、俺は思ってたよ。
S海なら、な」
「乳を揉みたいんなら、揉んでくれば良いだろう」
皆の反応に、S海の口からにべもなく言い放たれた言葉、それに彼は反論した。
いや、反論してしまった、と言うべきか。
「いや、そんな簡単に言うなや。
揉みたくて揉みたくてしゃーないけど、でけへんのやで。
雰囲気っちゅーか、タイミングっちゅうか、兎に角難しいんや」
「そんなに言うならな、U西。
お前女性ホルモンを毎日注射しろ。
嫌でも、乳房が発達して女みたいになれるさ。
後はそれを揉んで、楽しんだら良いだけだ。
自分だけの乳が、そこに出来上るんだぜ。
誰にも邪魔されない、遠慮する事は無い、揉み放題だ」
「そんな、夢も希望も無い事を言うなや!」
それを聞いて、S海の目がキラリと輝いた――様な気がした。
心なしか、唇の端がやや吊り上がっている気もする。
お前が言いたい事は分かるさ、ああ、十分すぎる程分かっているよ。
だが、一つ勘違いをしているな。
今、お前に発言権など無いという事だ。
――覚悟は良いか?
「あのな、女の胸ってのはな、脂肪が入ってるんだ。
お前が考える夢や希望なんて、これっぽっちも詰まっちゃいない。
なあ――、お前、今年で一体歳幾つになるんだ?
少しは歳考えて、常識的に現実を見てくれよ」
放たれる言葉の一つ一つが、U西の心を深く、より深く、抉り取る。
気付けば、生まれてきてごめんなさいしても止まらない、との噂が付き纏う、S海節が炸裂していた。
普段は右ストレート、ド直球の彼が、こういう時はフォークやスライダーの如く、恐ろしい程のキレを持つ変化球を放つ。
しかも、これで死球が幾ら出ても、進塁で助かる、などはあり得ない。
何故なら、これは野球では無いからだ。
当然主審も塁審も居ない――。
それは、的確に急所を狙った千本ノックを、止める者が居ない事を意味していた。
気が付けば、A林は素知らぬ顔で窓の外を眺めている。
ああ、これは、間違いなく心の耳を閉じている顔ですわ。
遠い目をしながら、M野は思った。
「なあ、お前まさか――」
「ま、ままま。
まあまあ、S海さん、もうその辺で」
黙ったまま聴き入り、痛烈な後悔の形相で俯くU西。
彼の心がポッキリ逝く前に、嬉々として声を掛けるS海に、M野が声を掛ける。
トドメの一言を邪魔されても、S海は大して気にした風もなく、語り掛けるのを辞めた。
勿論、ポッキリ逝った位で彼の猛攻は止まりはしなかっただろうが。
「酔ってる奴が言う時は面白いかもしれんが。
素面で言われると醒めるな」
「あ、酔ってなかったからスイッチ入ったんですか」
「んー、まあ、そうだ」
単なる制裁のつもりだったらしい、こういう時は冷静なM野のいう事を良く聞く。
普段は調停や諫め役を務める事が多い、S海のスイッチが入った時の唯一のブレーキ役がM野だった。
缶酒を1つ空にして、普段通りのS海に戻す。
何事も無かったかのように、彼は話を続ける。
元より本気で喧嘩をしている訳では無いし、S海の性格にも慣れっこであったので、皆すぐに元通り、楽しそうに続きを聴き始めた。
「まあ確かに目の前で、倒れた勢いはあったから、エロい部分に顔突っ込んでも、全く可笑しくない状況下にあったが。
そうなって後々予想される面倒な問題を避ける為に、あえて耐えた」
彼はそう言うと、一旦言葉を切った。
そして、空になった缶を袋に放り込むと、もう1つの缶を取り出す。
「うわあ、勿体ない事しよるでコイツ。
俺やったら顔突っ込んで、ソコ堪能してまうなあ。
だって、不可抗力やもん」
缶を開けると、ぐびり、ぐびりと旨そうに中の酒を嚥下する。
「俺は顔突っ込んで、舐ってたかもしれん。
学校には居られなくなるかも知れんが」
「そうやで。
それが男っちゅーもんや、なあ?」
「僕も不可抗力で、仕方ないと思いますよ。
でも実際触れてたら、羨ましすぎて、殴ってるかも」
「せやな。
今ですら羨ましいのに、これ以上なんかあったら、俺は辛抱たまらんで!
勝手に脱げたブルマとパンツ、支えて乳揉んで、下は丸見え!
どちゃしこや、ホンマもんのどちゃしこ!」
ここまで聞いて、彼は缶の残りを確かめるように振ると、しみじみと語った。
「お前達は結構気軽に羨ましがっているけどな。
あの後結構大変だったんだぜ。
変な噂飛んだろう」
「あーせやせや、そんな話しあったなあ」
「確かになあ」
確か彼は、その噂の中心人物として、周囲から結構詰められていた筈だ。
「俺の自業自得の面もあるが。
あの噂の発生源はT科のグループに頼んで、撒いたものだ」
自業自得とは、どういう事なのだろうか。
最後のひと口を飲むと、空の缶を袋に戻し、すっかりぬるくなり、水滴だらけになった500ml缶を取り出すS海。
3人は黙って、続きを促した。
缶を傾け反応を窺っていた彼が、沈黙の理由を察し、続きを話し出す。
「ふぃ~、大分飲んだな。
……、ああ、理由か?
正確な情報が広まり、自分も見たい、我も我もとエスカレートして、強引に脱がしにかかる奴等が出てきたら、マトモな生活が送れなくなるからだ。
何も性欲があるのは生徒だけじゃない、噂に流される教員だって出て来たかもしれないぜ?
お前達2人を含む、学校中の助平共の獣欲に、彼女を晒してみろ。
最悪あっという間に性犯罪が成立、数の暴力で泣き寝入りを選択させられたM和は、転校という形で身を隠すだろう。
実は正直な所を言うとな、その時まで顔も知らなかった女だ。
U西とA林、お前達2人が憧れている女でなければ、問題を放置しても良かった。
だが対応したのは、お前達の為に、高嶺の花として存在を置いておく方が、お前達の学校生活はより楽しく過ごせる筈だ、と判断したからだ」
彼が伝えた理由は、人間味がまるで感じられないが、恐らく分かりやすく説明してくれているのだろう。
S海の云う様に、人知れず彼女が生活圏から消える、という結果で良かった筈もなく。
彼等は俯いたまま、彼の決断を、そして話の続きを聞いていた。
「ある日、事実が多少漏れ始めた、という相談を受けてな、俺がT科を通じて、密かに噂を撒く様に言った。
虚実織り交ぜてどれが事実か分からなくなるようにな。
俺がその場に居たのは確かだし、それは含めても良いと言ったんだが。
そうしたら、頑張り過ぎたようでな、後の処理に追われる事になっちまったぜ。
もう少しクラスの女達と、こまめに連絡取り合えば、避けれた問題ではあったから、これは俺の手落ちだ。
計画の詰めが甘かった、という事だろう。
あの時の騒ぎは、お前達2人の方が詳しい筈だ」
昔から、浮世離れしている雰囲気が漂っていたが。
S海は学生の時分にコイツはそんな事が出来たのか、と舌を巻く。
3人のそんな思いを知ってか知らずか、美味そうに缶を傾けた彼は再び話し出した。
「次の年に似た噂流したが、誰も気にせず、噂はすぐに消えたらしい。
ある日T科の友達から、わざわざそんな話が回って来たから、完全に終息した扱いにして、もう止めるように伝えた。
噂を変に撒くと、何かの拍子に事実に気付かれたり、再び再燃拡散される恐れがあるからだ。
だから、もう忘れて後は達者で暮らせってな。
んー確か、聞きに来た女には達者で、って意味が通じなかったから、楽しく暮らせって言い直した、同じ学年なのに言葉の意味が通じないとかな、ハハ。
しかし、運動会の日に何かあったって、皆、気付いてたんだな。
だからその日の噂に興味を持ち、長い間残ったんだろう。
当時、そういう事を察知する人間の感覚は、凄いものなのだと、感心した覚えがある。
話の全容はこんな所か」
その内、大きくなり過ぎた噂に、学校側が対応し、沈静化したと記憶している。
最後までS海は黙っていた為、何時の間にか風化し、そんな事があった、という事を皆が忘れてゆく。
裏ではそんな事があったなんて、2人は夢にも思わなかった。
事の発端は今、S海の話した通りかもしれないが、それを何故話さなかったのか、という疑問が残る。
恐る恐る、A林が口を開く。
――――――――(4)――――――――
――時計を見ると、丁度日が変わっていた。
「なあ、何で誰にも話さなかったんだよ。
見たんだろ?」
A林の問いに、S海は暫し考え込む。
「せやで。
俺らに話してくれれば、何か力になれたかも知れへん」
続いて、U西からの問いも重なる。
再び重苦しく話す彼の声が響くまで、車内に静寂が満ちた。
「1つ目。
今だからこそ、見たと言えるが。
当時は彼女にな、変な噂が付き纏わない様にそうする必要が有ったんだよ。
かなり凹んだようだから、一刻も早く普段の生活に戻れるようにな。
だから、俺はそうした方が噂は早く消えると、判断した。
学校という社会全体の受けるダメージを、必要最小限にする事を選んだに過ぎない」
先にA林の質問に答えた後、彼は首の向きを隣へと変える。
その視線の先には、U西が映っていた。
彼の目を射抜くような視線で、S海が口を開く。
「2つ目。
U西なんぞに話したら最後、詳細があっという間に学校中に広まっていただろう。
卑猥な話が絡むと、お前は大声で復唱する癖がある。
何処で誰が聞いているか分からん環境で、俺がお前に話すという選択肢は、絶対に、無い」
絶対に、をかなり強く強調し、彼は言い切る。
その言葉を聞き、己の習性を自覚していたU西は、がっくりと項垂れた。
何もそこまで言わんでも――とは思うが、事実だから仕方がない。
彼は、そう言った面で、損をする己の性格を恨むしかなかった。
「俺にも話してくれなかったんだな」
しんみりと問うA林に、彼の返事が重なる。
「お前は平時なら、誰かに話すという事は無いだろう、が。
……見張られてたんだよ。
話を聞けた様子があれば、俺に絡んできた学校中の助平な奴等が、皆お前の方を向いたぞ。
そうなったらお前、自分で何とか出来たか?」
「え、いや……。
その……」
返答に詰まるA林。
当時の事を思い出したのか、S海は苦虫を噛み潰した様な顔で続ける。
「あいつ等家の前まで追って来やがったからな?
これは異常と言わざるを得ない。
俺も、奴等を振り切る為に、暴力に頼らざるを得なかった」
S海の話で、A林とU西はその時の事を思い起こす。
下着を穿いていない女の子がこけて全部見えた、女の子が自分から下着を脱いで見せつけた、女の子が裸になって校庭を走った。
彼が話す事実とは違う噂が、飛び交っていたのを今でも思い出す事が出来る。
当時はかなりの噂で、興味を持つ生徒も多く居り、その噂の中心に、S海という存在が居たという話は、当時を知るものなら皆知っている筈だ。
性に多感なお年頃とあって、真相を確かめようと、駆け回る生徒も居たに違いない。
だが、彼は言う。
M和とT科のグループに、適当な噂を広めさせた、と。
内容を教えろと高圧的な態度で絡む者も、当然ながら居た筈だし、何度か囲まれている彼を見かけた事もあった。
しかし、皆はこう言う。
S海が喋らないから詳細が分からない、噂の事実が確かめられないと。
噂で喧嘩があった、と聞いたりもしたが、彼等は真相を確かめられなかった。
今では顔も覚えてない、クラスメートの誰かが、その時期に引っ越した気もする。
言っている事が事実なら、彼の内申も相当響いた事だろう。
それでも、彼は一言も漏らさなかったのだ。
「それから。
当時偶々近くを通りがかったが、噂の事実は全く知らん、関わりないのに何故か槍玉に挙げられた、と、問題処理に来た教師に告げてな。
学校側の対応の遅さを、教育委員会に通報すると言えば、後の処理は早かったぜ。
問題はその後、素晴らしい早さで終息した。
話は以上になるが、後の事はお前達二人の方が詳しいだろう」
話が終わり、車内が再び静まり返る。
当時関りの無かったM野は、うんうんと頷きながら、話の内容を反芻している面持ちが伺えた。
「しかしなあ、そんなしてオンナノコ守ってやったのに、お前その年チョコ貰ろてへんのやな。
なんか、俺、腹立ってきたでえ」
暫くして、声を荒げたU西が、憤りをぶつけるかのように話し始めた、のだが。
「えっ?」
「ん?」
A林とS海が同地に違う疑問符の付いた声を発する。
「えっ、な、何や?」
「ああ、どうぞ」
同時に話そうとした時、A林がニヤつきながら、恭しい態度で彼に譲った。
S海は頷くと、お前は何を言っているんだ、と言った顔付きで話す。
「……貰った、貰ってるぞ。
学校で堂々と渡す訳無いだろう、菓子を送る事で関係が明らかになって、噂に感づかれたり、事実と思われたら困るからな。
俺の家まで運んで届けに来た」
「届けたの、俺だからな!」
高らかにA林が宣言する。
どうやら届ける駄賃に、幾つかの義理チョコを貰った、という事らしい。
「そんな話知らんかったわ。
S海のマブダチたる俺、俺には何で話が来んかったんや?」
「確かにお前は俺の親友ではあるがな。
一応、候補には上がったらしいぞ。
だがな、お前に言うと、理由を根掘り葉掘り聞いて、元がその件と知るや大声で復唱するだろう。
その可能性が高いと判断し、真っ先に候補から落したと聞いた」
にべもなく放たれた言葉にぎゃふん、となるU西。
そんな事は無い、と言いかけ――いや、確かにその通りだと思い直す。
渋い風貌で黙った彼を尻目に、S海は続ける。
「年明け前に、多数の女生徒から珍しく好みを聞かれてな。
俺はチョコが苦手だったから、纏めて1つにしてくれって言ったんだ。
そうしたら、固め直した大きめのチョコに、名前の寄せ書きした物がな。
お陰でホワイトデーには、随分と散財した」
「それも、俺が届けたんだよ!」
「次の年は、チョコは無かったが。
冬休み前、M和の女子グループにな、初詣に誘われた。
その頃は皆噂なんて忘れてたからな、大手を振ってお供させて貰ったぜ」
「お供ってなあ、お前、主賓待遇だったろうが。
M和とT科に挟まれてなあ。
当時は何でか分からんかったから、めっちゃ羨ましかったんだぞ!
……今は、理由聞いたから、すごく分かるけどよ」
「その時は綺麗さっぱり忘れてたから、隅っこで良いと言ったんだがな。
まさか、矢面に立たされるとは。
呼ばれた理由を理解した後、務めてはっちゃけるのも大変だった」
「羽目外してるお前は珍しいと思ったが。
アレ、わざとだったのか」
「まぁーな、折角のご招待だ。
喜んで普段と違う事してる風に思われないと、失礼かと思ってな、ハハ」
寡黙な彼が珍しく、良く笑い良く食べ、そして良く話してた事を、A林は思い出す。
T科に、臭いからしてヤバ目の、激辛ソースがかかったたこ焼きを食わされたが、辛くて美味い、と言い、彼は彼女の手から船ごとひったくり、皆の前で全部食べてしまう。
食べ終え、寒いから温まったと、彼が平然と言っていたのを、皆は唖然とした表情で聞いていた。
全く動じなかったS海を見て、ぽかんとする皆に、彼は辛党である事を告げ、大笑いした筈。
そして、懐かしい想い出にお互い笑い合うと、話に付いて来れなかったのか、きょとんとしているU西の方に振り向きつつ言う。
「おまけですまんが、その時、別クラスだった俺も、チョコ届けた繋がりで一緒に行った!
一緒に行きました!」
ふふん、どうだ、と言わんばかりにA林が2度繰り返す。
彼はどうやら蚊帳の外、知らない所で、着々とコトが進んでいた様子だ。
しかし、女生徒と一緒に初詣とは!
ギャルゲーのイベントでしか、彼は経験した事が全く無い、現実とは思えぬ幻の出来事があった事を、20と数年経ってから知る。
彼等と女生徒と、何かしらの繋がりが、あった等とは思っても居なかった。
M和とT科、彼女達は仲が良かったように思う。
あの日S海の見た事は、2人の固いネットワークに守られ、U西に届く事が無かった、という事だ。
思えば、クラスや学年の女生徒達は、この件に関して、偏屈なS海の文句を言っている所を、一度も聞いた事が無い。
気付けばM野は、口を押えて必死に声を漏らすまいとしており、その目元は、明らかににんまりとした笑みを含んでいる。
――青春、置いてけぼり。
皆の様子を見た彼の脳裏に、その一文が過ぎった。
「ちょ、ちょお待ってくれや。
俺の、おお俺の青春は毎週通ったビデオ屋の、エロビデオだけやったなんて、ホンマ寂しすぎるやろがい?
なあ!?」
今更騒いでも、過ぎ去った時間は決して還って来たりはしないのだが。
込み上げるやるせない思いに、U西は叫ぶ。
その想いに、A林は冷たく応えた。
「んー?
まあ、全ては信用かなあ?」
「あはははははは。
また連絡しますねー!」
何も言わぬS海は、同じく黙したまま手を振り立ち去る。
そして、事態を察したM野の笑い声で、解散となった。
今日も何気ない様子で会合を終え、皆帰ってゆく。
……平穏だが、退屈な日常へと。
夕餉の後の夜食会